本堂でのお葬儀。それはわざわざ費用をかけて祭壇などを作る必要がないと思うのです。いや、かえって祭壇を組んで、仏師や仏具屋さんが心を込めて仕上げた仏さまや本堂内陣が隠れてしまうことの方が、もったいないといつも感じております。
最低限のお花やお供物で、ご本尊阿弥陀如来の御前にてのお葬儀。それは、本当に必要なものを残し、本来必要でないと思われるものを省いていくことによって、自然とお葬儀にかかる全体の費用も落ち着いたものになっていくというシンプルな考えによるものです。
そして浄土真宗のお葬儀では大切なことですが、亡き人のお棺の上には、実際にお葬儀で僧侶が身に着ける七條袈裟と修多羅を掛けさせていただきます。これは浄土真宗のお葬儀の本当の導師が僧侶ではなく、生きざま・死にざまを私に見せて、先に阿弥陀さまのお浄土へ生まれて往く亡き人こそが、私にいのちの不思議や尊さを教え導いてくださるお方だったと味わうところから来ておりますので、お棺に七條袈裟と修多羅というお衣を掛けさせていただくのはとても大切な意味があります。
このように、本来大切な意味がある必要なものだけを残していくお葬儀を勤めていきたいと考えております。
もちろん、小さなお葬儀(世間一般でいう家族葬)から一般葬、大規模葬までできるだけ対応いたします。
ご門徒さま以外、また、宗派にかかわらずご相談ください。ただし、浄土真宗の儀礼にてお葬儀は勤めさせていただきます。
ご自宅・公民館・葬儀会館へのお葬儀にも出張いたします。
「亡き人のためのお経と思いしが、私の救われていく教えであったとは」
上記の言葉は、東京からたまたま里帰りをしてきて、阪神淡路大震災で亡くなった姉と姪の本葬を東京の築地本願寺で勤めたときに、掲示板に書かれてあったものです。
法事というのは、父母をはじめご先祖を偲び、感謝の心をお伝えする営みであると同時に、法事に参拝する私自身が仏さまの教えに出会い、手を合わすよろこびに導かれる大切なご縁でもあります。
お経というのは、生きてこの世界で迷っている私のための教えが説かれてあり、そこには生きるヒントがいっぱい詰めこまれています。
光明寺では、法事にてご法話をさせていただきます。仏教の教えに触れて何かを感じたり、法事を勤めたことが明日からの新たな人生のスタートだと生きる力をいただくことこそが、本当の意味での供養、亡き人も私もよろこびをいただく仏事であると考えております。
お寺での法事は使用料など必要ありません。仕出し弁当を取り、お食事をしていただくことも可能です。
ご自宅その他にもうかがいます。菩提寺がないお方なども、お気軽にお問い合わせください。