京都西陣の織成館にて、月釜の亭主をつとめさせていただきました。
テーマは達磨さん。
インドから中国の梁の国に入った達磨大師は、梁の仏心天子と呼ばれた武帝と問答を。
『沢山のお寺を建て、僧侶を養成し、仏教普及に尽くしてきた朕にはどれくらいの功徳があるか?』
との問いに大師は、
『無功徳』と。
功徳がないわけではないだろうが、先に功徳や利益を求めて行う行為は、
どれだけ見た目は仏教的行為であっても、仏教ではない。
(自己反省タイム
)
機嫌を悪くした武帝は、
『朕の目の前に居るお前は何者だ
』
と問う。
大師は、
『不識』
つまりは『知らん!』と
命からがら逃げ出したとか、この天子は問答の価値がないと梁の国にを去ったとか、
色々と伝わりますが、芦の葉に乗って揚子江を北上し、
北魏の少林寺に入り、面壁九年と伝えられます。
しかしひょっとして、不識!と問答で天子を負かしたが、
己を知るということは何よりも難しいことであった
と、天子の問題ではなく己自身の問題であった
と、得心しての面壁九年だったかもしれないと思ってみるのです…
おそらく、あっという間の九年だったのではないかと…
じつは仏教って辛気臭いように思われますが、新たな自分を発見したり、
考える力をいただいたりする、ワクワクな世界なのです
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